気ままに、うぇぶ録 NEO

 F1の感想を中心にやってます。

2019年F1 第9戦 オーストリアグランプリ 追記(補足)

既にシルバーストーンでのフリー走行が始まっているのですが、私はいまだに納得出来ないまま、頭の切り替えが出来ません。

 

 

シルバーストーンでのフリー走行での解説でも、日本の解説陣はフェルスタッペンを大絶賛、

特に、フェルスタッペンを溺愛する日本のF1界の重鎮、今宮さんの番組冒頭のコメントには失笑を抑えられませんでした。

以前からフェルスタッペンがミスをすると途端にコメントしなくなる今宮さんですが、

今回もオーストリアでのフェルスタッペンについて「スタートからフィニッシュまでグランプリらしい勝ち方」だと評し、スタートの大失敗については全く言及せず、すぐに西岡アナが「スタートで一度遅れながらも・・・」と、他の解説者に話を振ってフォローするという感じでしたからねぇ。

まあ、今宮さんにしてみれば、スタートで失敗してからの逆転がグランプリらしい勝ち方だという意味なのかも知れませんが???

 

グランプリらしい勝ち方って、そういうことなんでしょうか・・・

 

 

そんな中で、現地解説の米家さんから伝えられた当時の現地での状況の報告だけは、客観的ものだったので好感が持てました。

他のドライバーたちが、(FIAがレースを妨げなかったことは評価するけど、)今までならコース外へ押し出したらペナルティは当然だったのに・・・、と言っていたということだったので、今回の一件でフェルスタッペンだけが優遇されたと思っている、というのが他のドライバーたちの本音のようです。

ルクレールが、(それが許されることが判ったから)自分ももっと攻撃的になる、と言っていることに対して、この先も同じ裁定が下るかどうかは判らない、と言っていたのも私と同じ考えだったので、少しだけ安心しました。

 

 

逆に私が一番気になった(違和感を感じた)のが、

日本の解説陣(重鎮たち)が揃って口にしていた、フェルスタッペンの鼻先が出ていた(だから、フェルスタッペンはコース幅一杯まで使う権利があり、ルクレールの方が引かなければいけなかった)という発言です。

何故、相手がフェルスタッペンだとそういう解釈(何があってもフェルスタッペンが優先)になってしまうのでしょうか???

 

コーナーで相手のラインを残さなければいけない基準も以前に一度問題視され、一定の判断基準が定められていたはずで、(それも、そんなに昔の話ではなく、確か7~8年前のこと、)

私の記憶が間違っていなければ、それは、相手のフロントウィングが自分のリヤタイヤより前にあれば相手のラインを残さなければいけない、というものだったはず。

今回の場合も、それに照らせば、ルクレールには自分のラインをキープする権利があり、フェルスタッペンはアウト側にルクレールのラインを残す義務があったはずで、

(もちろん、ルクレールにとっても、フェルスタッペンからイン側に自分のリヤタイヤより前まで入られた時点で、イン側のフェルスタッペンのラインを塞ぐことは許されない、という点では同じことで、それが公平だということなのに、)

どうして、鼻先が出ていただけで、フェルスタッペンには縁石一杯まで使う権利があり、ルクレールには並走する権利が無くて引く義務があった、という自分勝手(フェルスタッペン勝手)な見解が、日本の解説陣の方々の口から出てくるのか、私には全く理解出来ません。

 

 

まあ、これからの解説がそうなってしまうことは予想していましたが、

フェルスタッペンに関しては、FIAの裁定だけでなく、日本の解説陣にも、公平性や一貫性を期待することは出来ないようですね。