気ままに、うぇぶ録 NEO

 F1の感想を中心にやってます。

2019年F1 第17戦 日本グランプリ 雑記(詳細)その1

個人的には、今年のF1は、もう(ヨーロッパラウンドに入った頃からメルセデスの消化試合のようなものだと思っていたので)レース結果はどうでもいいのですが、

今回の日本グランプリは、全く面白かったとは感じなかったどころか、逆に、私が今のF1に嫌気がさしている様々な要素が満載のレースだったので、今年のF1のまとめという意味も含めて、かなり遅くなりましたが、日本グランプリの感想を書き残しておきたいと思います。

 

 

レース結果は以下のリンクのとおりですが、

 

f1-gate.com

 

リンク先の記事の注釈にもあるように、この結果(52周目のコントロールライン通過時の順位)から、レース後の15秒のタイムペナルティでルクレールが降格し、リカルドとの順位が入れ替わった、ということですね。

 

 

では、まずは、そのレース後のタイムペナルティの対象となった、スタート直後のルクレールとフェルスタッペンのインシデントについてですが、

 

まず最初に注意しなければいけないのは、このレース後のタイムペナルティは、インシデントそのもの(5秒分)と、その後に破損したマシンで走り続けた危険行為(10秒分)に分けて考えなければいけないということ。

 

後者については、インシデントのあとでFIAからフェラーリに対し破損したマシンをピットに入れるように通達があり、(国際映像でも判ったように)無線でチームからルクレールにもピットインの指示が出ていたのに、ルクレールが数週に渡って無視した、という認識でいいと思うのですが、

これについてはルクレールに弁解の余地は無く、本人は破損状況が見えなかったと言っているようですが、あの状況下では(チームは外部から破損状況を把握しているのだから)そんなものはチームの指示に従わない理由にはなりません。

結果的に、フロントウィングの破損とバックミラーの脱落で後続車を危険にさらしたのだから、10秒のタイムペナルティでも軽過ぎるくらいだと思っています。

これは、シーズン序盤から度々見られる(チームの判断を軽視する)ルクレールの驕りの表れだと思うのですが、ルクレールは普段の発言は控えめなのに、レースが始まると本音(深層心理)が表に出てしまうようですね?

 

一方で、前者のインシデントそのものについては、その内容自体は特に問題にするほどのものではないと私は思っています。

ただ、私が気になったのは、インシデントの直後に一度は審議の対象にしないとFIAがアナウンスしたのに、その後改めて(レース後の)審議の対象となった点です。

その審議の対象がインシデント後の破損したマシンでの走行に対するものだけ(最初に審議しないとしたものとは違うもの)だったのなら別に良かったのですが、実際にはインシデントそのものに対してもルクレールの方に5秒のタイムペナルティが科されたことから、インシデントそのものも、最初の審議不要の裁定を覆し、改めて審議の対象にされたということですよね。

 

で、具体的に何が気になったのか、というと、

あのインシデントそのものは、私には単純にレーシングアクシデントだと思えたし、実際にインシデント直後のリプレイを見ながら、解説の松田さんもフェルスタッペンに対してリスクのある抜き方だと言っていたし、川井ちゃんや森脇さんもルクレールが(前の車の影響でフロントのダウンフォースを失って)アンダーが出て膨らんでしまったと言っていたように、それは不可抗力でレーシングアクシデントの範疇だという認識だったはず。

なのに、フェルスタッペンの方の被害が思ったよりも大きくペースが上がらないことが判りフェルスタッペンが無線でも文句を言い始め、一方のルクレールが破損したフロントウイングを交換しペースを上げて挽回し始めると、雰囲気は一転、日本の解説陣はあれがレーシングアクシデントなのはおかしい(ルクレールが引くべきだった)と言い出し、それに呼応するかのようにFIAもインシデントを改めて審議の対象にしてしまいました。

そう、私には、フェルスタッペンの不満に答える形で、解説陣の評価が変わり、FIAもフェルスタッペン優先の方向に動いたように思えたのです。

 

最終的にはフェルスタッペンがリタイヤしたことで、フェルスタッペンをルクレールより上位にすることまでは出来なかったけど。

 

今のF1を見ていても、こういう「何もかもフェルスタッペン様の仰せのままに」という雰囲気が私には一番気持ち悪い(不快で違和感を感じる)のですよ!

F1関連サイトを見ても、最近は、何かにつけてフェルスタッペンの見解を載せる(フェルスタッペン様の御意向を伺う)記事が多いように感じるのは気のせいでしょうか?

 

インシデントの内容に関しても、レース後にフェルスタッペンは相変わらず自分を棚に上げて(馬鹿の一つ覚えかのように)自分には一切の非は無く、ルクレールの走りが無責任だと言っているようですが、そもそも、オーストリアの一件で(それが認められないならF1をやる意味が無いと言って)他車に接触して相手をコース外へ押し出すことが合法 だとFIAに認めさせたのは自分なのに。(失笑)

 

まあ、フェルスタッペンの思考回路では、今回も、鼻先が出ていたから自分の方が100%優先であり、同じことでも自分がやれば正しくて他人がやれば間違っているということになるのでしょうね。

それに応えるかのように、F1界の(専門家達)基準も、以前の基準を覆して、鼻先優先に変わってしまったし、フェルスタッペンがやることには間違いが無いという評価が定着してしまった訳ですしねぇ。

 

オーストリアの一件のあと、一時は、ドライバーに自由にレースをさせると言えば聞こえはいいけど、その為に(フェルスタッペンが何をやってもいいように)、FIAが(フェルスタッペン以外のドライバーも含めて)すべてのインシデントの審議を放棄する、という状態に陥ってしまったこともあり、それを真に受けたルクレール(を筆頭とした若手ドライバーたち)の走りが一変して(荒れて)しまいました。

その後、FIAは黒白旗を復活させて、フェルスタッペン以外のドライバー(同じような若手のルクレールやガスリー)に対して牽制をするようになり、

結局は、予想していた通り、同じことでもフェルスタッペンしか許されない、という状況になってしまったと・・・

 

って、これらは全部、私の偏見でしょうか???

 

 

話をシンガポールまで遡って、

 

ルクレールベッテルに先行されたチーム戦略について無線でごちゃごちゃと文句を言っていた時にも、私には気になったことがありました。

それは、ルクレールの発言そのものに対してではなく、その時に川井ちゃんが「良い子ではF1は勝てない」と言っていたことです。

確か、川井ちゃんは、以前に、ハミルトンの程度の悪い走りに対して「ハミルトンがああいうことをすると今の若手が何をやってもいいと思ってしまう」と言って嘆いていたはずですが、私の記憶が間違っていたのでしょうか?

私は、本来のF1というのは、ワンメイクではない車体やエンジンの開発、それぞれに異なった特性を持つ(扱い難い)車体の性能を最大限に引き出すドライバーの技量、それに基づいたチームの戦略で、いかに速くレースディスタンスを走りきるかを競うもの、だと考えていましたが、(そのほとんどの要素が今のF1では無くなってしまったけど・・・)

いつからF1は、ドライバーの技能ではなく、ドライバーの人格の悪さを競う競技に成り下がってしまったのでしょうか?

 

これも私の持論ですが、オープンホイールであるフォーミュラでは、サイド・バイ・サイドでのオーバーテイクスリップストリームを使ったストレートでのスピード差とコーナー手前でのブレーキング勝負でのオーバーテイク)というのが本来の姿であり、フェルスタッペンが主張しているようなホイール・トゥ・ホイールでのバトル(コーナリングでの接触を伴った程度の悪いオーバーテイク)というのは、安全面を考えても、本来はあってはならないものだと考えています。

だからと言って、すべてのバトルを否定する訳ではありませんが、F1が本来の姿だった時代には、抜き難いコースレイアウトでは本当に抜けないから、オーバーテイクが少なくてつまらないと言われるレースなんて当たり前だったはず。

それが、フェルスタッペンのやることすべてを肯定するがゆえに、そういう程度の悪いバトルを伴ったオーバーテイクや、チームに逆らってでも自分の立場や正当性ばかりを主張する減らず口の生意気な若手ばかりが賞賛される状況になり、遂には、良識のあるドライバーではF1は勝てないとまで言われてしまうところまで来てしまったと・・・

 

私は、日本の解説陣が高評価していたスパでのアルボンの走り(コース外にはみ出して土煙を上げながらのオーバーテイクとか)なども、本来なら、決して褒められるべきものではなかったと思っています。

 

スパのF2であれだけの大惨事があったあとでもF1でのそういう風潮は全く変わらなかったということですよね。

 

 

話を鈴鹿に戻して、

 

金曜フリー走行FP1にトロロッソで出走した山本尚貴(敬称略)、 

彼はもう31歳ということで、とにかく若手の採用が最優先の今のF1では、現実的には、ここからレギュラードライバーというのは難しいと思いますが、それはそれとして、

F1GPニュースの特番(鈴鹿からの生放送)に出演した彼の様子を見ると、何とも謙虚で、他人への感謝を忘れない、本当に良い人という印象でした。(数年前に、同じく鈴鹿からのF1GPニュースで見た時のフェルスタッペンの第一印象とは対称的!?)

今宮さんや森脇さんも高評価でしたが・・・

そんな山本尚貴に対して、全くのF1初走行でクビアトと同等のタイムを出しているのにも係わらず、クリスチャン・ホーナーは、トロロッソの基準に達していない、と評価していたようですが、それは、今のレッドブルが求めているのは性格の悪さ(良い子ではない)ということですよね。

レッドブルの基準に合わない(性格の良い)サインツやリカルドは、勝てる可能性を捨ててまで、自らレッドブル陣営を離れる決断をした訳で、山本尚貴に対するホーナーの評価は、逆に、人間性の良さを高評価されたと思えばいいのではないでしょうか。

だって、良い子ではF1は勝てないのですから。

 

 

今年のF1(最近のF1)に対する私の感想をまとめると、

 

とにかく私が許容出来ないのが、フェルスタッペンの存在と、そのすべてを肯定し、ルールや判断基準までも変えてしまうF1関係者たちだということ。

(ドイツグランプリ以降、フェルスタッペンの不満に応えて、ピットでのアンセースリリースのペナルティの運用が変更されたのは明確な事実です。)

 

8月に放送されたF1GPニュースの特番での後半戦の予想の中で、米家さんが、日本グランプリでホンダを応援しないのは非国民だと言っていましたが、

自分の倫理観に反してフェルスタッペンを肯定し、レッドブル&ホンダを応援するくらいなら、私は非国民で構いません。

フェルスタッペンがレッドブルのドライバーである限り(ホンダがレッドブルにPUを供給する限り)、今後も私がレッドブル&ホンダを応援することもありません。

 

それに、フェルスタッペンとルクレールの(程度の悪い)新世代対決なんて、私は観たくもありません。

 

 

 

ということで、次は、ベッテルのジャンプスタートについて、と思ったのですが、

 

最初の話題だけで長くなりすぎたので、とりあえず、ここまでで暫定で公開し、続きはまたあとで書こうと思います。

 

 

 

注釈:

台風19号での被害に遭われた方々が大勢いる中で、自分の不満をここでぶちまけているような状況ではないと考え、今回は感想を書くのを少し控えて遅らせましたが、

日本グランプリのあと、F1GPニュースも見ていないし、F1速報などの雑誌もチェックしていないので、専門家の方々がどういう総括をしているのかは知りませんので、

この感想は、人の意見には影響されず、日本グランプリの決勝を見た直後の私の感想をそのまま書いています。

時間が経って忘れてしまっていることもあるので、思い出したことや書き忘れたことがあった場合は、随時、本文の訂正や加筆を行っています。